もうひとつの、蜜白玉のひとりごと

些細な出来事と記憶の欠片

かぎ針編みの行方

朝から強烈なめまい。ときどきベッドから起き上がるのを失敗するとこうなる。起立性ナントカ、というのだけれど忘れた。体温調節もなんかおかしい。暖房すれば暑いし、そうかと思って暖房を控え目にして服着たら着たで肩がこるし、いずれにしても指先なんて冷凍庫でひやしたようにつめたい(そのくせしっとり汗ばんでいる)。ああ、完全なる自律神経失調のかたち。はちみつ生姜とか湯たんぽとかヨガとか、おなじみの対策をあれこれ講じてはみても、ここ2、3日の急激な冷え込みにはからだも追いつかない。今年はしつこい残暑のあとに秋らしい秋もないまま、かけ足で冬になってしまった。そう思って順応性がないのを気候のせいにして、それとも実は歳のせいか。

せまりくる年末に予定はあるようなないようなで気もそぞろ。やりたいこと、やらなければならないこと、挙げればキリがないができる分量は限られている。まずは年賀状だ。いや大掃除か。でも大掃除ではくたびれるから心意気としては中掃除くらいか。

きなりの雲

きなりの雲

本もときどき読んでいるが、それよりこの頃すっかり夢中なのがひさしぶりのかぎ針編みだ。石田千『きなりの雲』の主人公が編み物をしていて、こまごまと手を動かす感じがなつかしく、衣装ケースの奥にしまいこんでいた毛糸とかぎ針をひっぱり出してきた。ずいぶん前に何か作ろうと思って買ったままになっていた茶色とベージュの毛糸でとりあえずスヌードを編んでいる。スヌードというと聞こえがいいけれど、つまりはマフラーを編んで適当な長さになったら端と端をくっつけて輪にするだけだ。毎晩、ひと模様8段でちょうど眠気が襲ってくる。平日は寝る前くらいしか編む時間がないのだからそこでがんばらないと進まないのに、ひと模様がやっと。夜は短い。

これまでのところ編み物はかぎ針編みしかできない。何度か棒針編みにも挑戦したけれど、まったく棒針編みの楽しさがわからない。棒針が滑るのと手の動きがいまいち楽しくないのとでイライラしてきて、どうしても途中で放り投げてしまうのだ。別に生活に困るわけではないし、この頃はかぎ針編みだけでいいと開き直っている。ただ、かぎ針はレースみたいな続き模様や、花のような円形モチーフを編むことはできても、図柄を編みこむことはできない。・・・はずだった。私はそう思っていた。それがなんと、かぎ針でもまるで棒針で編んだような柄や立体の模様までも(?)できるらしいということを遅ればせながらこの冬初めて知った。どうして今まで知らなかったか、その類の本に出会わなかったのか不思議でならない。本を見る限りでは、北欧の伝統的な編み方のようだ。編み目が正方形になるから、刺繍のクロスステッチの図案をかぎ針編みに応用することもできるかもしれない。すごい!これでどんな図でも編める(やればだけど)。鳥とか、鳥とか、鳥とか。つまりは鳥の図柄が編みたいのだ。

かぎ針で編む 伝統柄のあみこみこもの

かぎ針で編む 伝統柄のあみこみこもの