もうひとつの、蜜白玉のひとりごと

些細な出来事と記憶の欠片

愛すべき海と生き物たち

子どもの頃はミノカサゴとモンガラカワハギが好きだった。姿かたちがひらひらしたものや、模様の派手なものに目がいった。沖縄に住んでいた頃は休みといえば水族館か植物園だったような気がする。とにかくよく水族館に行った。今思えば贅沢なことだけれど、ジンベイザメもマンタもオキちゃんショーも飽きるほど見た。オキちゃんと呼ばれていたのはたぶんシャチだったはずだけれど、シャチを知らない私は白黒模様の太ったイルカだと思ってオキちゃんをイルカショーとして見ていた。

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この夏、ものすごくひさしぶりに水族館へ行った。いちばん近いところで、池袋サンシャイン水族館へ。夏休みも真っ盛りだから昼間は入場制限をしていたようだけれど、夕方に行けばそのまますっと入場、館内は少し混んでいるくらいだ。

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水族館は暗く涼しい。いちばん大きな水槽ではちょうどダイバーのお姉さんのショーをやっている。お姉さんはエサで魚の群れを誘導したり、エイの口めがけて直接エサをあげたり、岩穴のウツボを引っ張り出して抱えて泳いだりする。お姉さんは怖いもの知らずで豪快だ。お姉さんから解放されたウツボは急いでまた岩穴に戻る。

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ショーが終わると再び小さな水槽ににじり寄る。他の水槽よりいちだんと暗い地味な水槽に惹かれる。何がいるのか。水槽の暗さに目が慣れてくると左端にタコがぎゅっとしている。機嫌の悪そうな目、ふてくされたような態度、足の置き方も怠惰なミズダコだ。タコはそんなつもりじゃないのかもしれないけれど、そう見える。そのことがおもしろくて仕方ない。子どもの頃はこんな水槽は退屈だったに違いない。

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少し進めば、幻想的なクラゲのトンネルに人があふれている。水槽をトンネル型にして人間が生き物の下をくぐれるようにする方法は、いつから流行っているのだったか。

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奥には始終あっぷあっぷしているマンボウがいる。水槽の湾曲したガラスのせいか、マンボウはえらく大きく見える。これ、畳より大きいよね、と相方に確かめる。マンボウはどうしたいのか、行き先が見えているのかいないのか。かわいそうだ。

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寒いくらいに冷房がきいた館内をめぐる。上階は淡水、熱帯魚や両生類、爬虫類、そしてまた海水。愛らしいクマノミもいる。イソギンチャクにじゃれるようにするクマノミはいつまで見ていても飽きない。これは子どもの頃からずっと変わらずに好きだ。

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展示が終わるとお土産屋さんで、さんざん悩んでシーラカンスのぬいぐるみ(Sサイズ)は、ここにはいなかったから、という理由であきらめて、クマノミのストラップを買う。深海魚の下敷きも欲しかったかもしれない。でも深海魚はここにはいない。かろうじてタカアシガニが深海といえば深海か。今度、姪っ子と沼津にある深海魚の水族館に行く約束をしたので、そのときは晴れてシーラカンスのぬいぐるみを買うことにしよう。

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それにしてもここ数年、深海にやけに惹かれるのはどうしてなのだろうか。シーラカンスは以前から知っていたけれど、ダイオウイカとか、頭が透明で目が上向きについている魚とか、変なタコとか、バランスがおかしなくらい顔の大きな魚とか。ふだん簡単には見れないからこそ見てみたい!と思わせるのか。深海には人間の知らないことがたくさんあって、これから先、どんなに努力しても絶対に人間が全てを知り尽くすことなんてできない、と思わせるその未知の世界の深さや暗さを、地球の頼もしさとして感じるからかもしれない。わからないことがたくさんあると思うと、わくわくして、体の内側が震えるような気がする。クスクス笑いと寒気が同時に起きたような、こわいようなおもしろいような不思議な気持ちだ。

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外に出ると屋上にはドーナツ型の水槽があって、ペンギンが高層ビルを背景に泳いでいる。夕暮れ時、なかなかいい眺めだ。都会の水族館も悪くない。