もうひとつの、蜜白玉のひとりごと

些細な出来事と記憶の欠片

最も遠い予定

午前5時過ぎ、2020年のオリンピック開催地が東京に決まる。全然期待していなかったし、むしろ少しうっとうしいくらいに感じていたのだけれど、テレビに映る喜ぶ人たちの様子を見ていると、招致活動に今までさんざんお金と時間をかけてきたのだから、これはこれで報われてよかったのだなと思った。そしていよいよ、オリンピック関連に予算が取られて、末端の下っ端の私のお給料なんてこれから先ますます削られていくに違いないということに思い当たり、うだうだしていないで本腰入れて自分の身のふり方を考えて、考えるだけじゃなくて行動に移さなければならなくなったのだ、と日曜日の朝の寝ぼけた頭で、やっとそこまで気がついた。

オリンピックに対してへらず口ばかり利いているようだけれど、一流選手の活躍を間近で見られる「かもしれない」ことについては少し興奮する。東京の街を疾走する自転車をこの目で見たい。あと7年は生きよう、と冗談まじりに夫に言われ、まあ順当に行けばね、と醒めた返事をする。正直に言えば、7年も先のことなんてわからないのだ。私にとっては父の病気と死、そしてその1年後の東日本大震災があまりにも強烈で、もうそれらの出来事からだいぶ時間がたって、それなりにいろいろ考えてきたはずなのに、やっぱりほとんど消化できていない。

希望的観測に基づいて予定を立てることができないのも、最近はそのせいなのではないかと思っている。7年後の東京オリンピックは私の許容範囲をはるかに超えた最も遠い予定だ。こんなに先の予定は、他にはもう立てられるはずもない。