もうひとつの、蜜白玉のひとりごと

些細な出来事と記憶の欠片

転校生の能力

しゃべり方について指摘されることがたまにある。自分では特に人と違ったしゃべり方をしているつもりはないので、指摘されると、え?そうですか?とドキリとする。そして、以前にもこんなことあったよなあ、と思い出すのだ。

子どもの頃は父の仕事の都合で全国をほぼ3年単位で転々としていたから、自分では標準語を話しているつもりでも、自然とあっちこっちの方言やなまりが混ざってしまった。なんとも言えない、どこのものでもない変な言葉を話しているに違いない。言葉だけでなく、相槌の打ち方とか、間の取り方とか、しまいには部活でのかけ声のかけ方まで、変だしみんなと違う(から邪魔だ)、と言われたこともある。学生時代はそれでちょっと傷ついたような気持ちになったりもしたものだけれど、今になってみると、おや、あんた、よく気がついたね、とほくそ笑むくらいの余裕はできたかもしれない。年をとるって便利なことだと思う。

転校先でその土地になじむにはまず相手の言っていることをいち早く理解して、そして真似ることだ。意味のわからない方言は文脈から推測し、相手と違うイントネーションの言葉がうっかり口をついて出てつまはじきにされないように、とにかく耳をすませて相手の言葉の音をとる。転校生ならではの能力だと自負しているが果たして。

今でもその感覚はいきていて、テレビドラマがなまっているとしばらくは自分もなまってしゃべっている。最近は「あまちゃん」を見たあとにその傾向が強い。家に帰ってきて、「あまちゃん」今日どうだった?と何気なく聞く夫に対して、嬉々としてなまりとともにあらすじを伝える。場面の転換、おもしろかったセリフ、人物の表情、劇中のカラオケで歌われた歌まで、覚えている限り再現する。あまりに時間がかかるので、ビデオにとって見た方が早いんじゃないかと思う。

そんなわけで最近は、しゃべり方が変、と言われても落ち込むどころか、そりゃあそうだ、私の言葉の形成時期がへんてこりんだったから仕方ねえべ、と返したらおもしろいんじゃないか、くらいに思っている。まあ、興味を持って言ってくれる人と、単に気に入らないからふっかけてくる人とでは、返す言葉も変わってくるわけだけれど。