もうひとつの、蜜白玉のひとりごと

些細な出来事と記憶の欠片

流れ着いたところ、4年かかった言葉の意味

「消費をやめる」のタイトルだけはちらちら耳にしていた。おもしろい出版社として注目しているミシマ社のツイートから、朝日新聞夕刊の「人生の贈りもの」に著者の平川克美さんが出ていることを知り、さっそくチェックする。どうやら父と同世代の方のようだ。妙な親近感を持って、平川さんのいくつかの著作とブログに目を通す。

・小商いのすすめ 「経済成長」から「縮小均衡」の時代へ 平川 克美/著 ミシマ社
・移行期的混乱 経済成長神話の終わり 平川 克美/著 筑摩書房
・ブログ「カフェ・ヒラカワ店主軽薄」

こういう話、最近聞いてないな。

考えてみればこの頃は毎日、同世代の女のひととばかり話をしている。一日のうちの大半を過ごす職場には同世代か自分より少し年上の女性が多い。上司をはじめ男性もいるにはいるけれど、彼らと話すことといえば事務的な必要事項かせいぜい世間話程度で、腰を落ち着けて話をすることもないし、ぜひ話をしたいと思う人もまたいない。外からやってくるお客さんや営業の人も同様。他の世代の、とくに男性の話し相手がいない。それが急にとてもつまらないことに思えてきた。なにやら知らないうちに狭い方へ狭い方へと流れてきてしまったかのようだ。

父とはよく話をする方だったと思う。結婚して家を出る前は、週末の夕食時など少しお酒も飲みながら、父のテキトーな政治経済の話に付き合った。仕事とは、会社とは、社会とは、ああだこうだ。日本は、世界は、どうのこうの。父のひとりよがりな、およそ偏った話ではあっただろうけれど、団塊世代のいちサラリーマンの話としてはとても興味深かった。父も私も互いに気を遣う必要もないから、思っていることをほとんどそのままべらべらとしゃべっていた。無知による恥もなければ、言い過ぎた失礼もない。たまに父が説教臭くなって面倒くさいなと思えば、そこからはもう話半分に、ふんふん、へー、と相槌だけ打っていればよかった。

おじさんが若者に演説をぶって、それを熱心に聞いてくれる人などふつうはいないのだ。若者が年上に生意気言って、それをおもしろがって聞いてくれる人もそうそういないのだ。

私たちは話し相手としては稀有で、とても貴重な存在だった。そんなこと、すっかり忘れていた。そして、息を引き取った父に、またいろいろ話しかけるからね、と声をかけたことを鮮やかに思い出した。それはこういう意味だったのだ、と今さらながら自分の言葉がストンと胸に落ちた。

あれから4年がたつ。いい加減、事実として受け入れることはできているはずだけれど、心のどこかでは「いるのが当然で、いないのはおかしい」と感じている部分がある。相変わらずの不在というアンバランスな状態が保たれているだけで、私が変われたかどうかはわからない。