もうひとつの、蜜白玉のひとりごと

些細な出来事と記憶の欠片

夏は過ぎ、また富士日記

昨年の夏を教訓に、文句を言い言いただひたすら耐える「猛暑日+熱帯夜」×連続何十日を覚悟していたのに、結局雨ばっかりザーザー降って今年の夏はあっけなく過ぎてしまった。最高気温30度以上の真夏日もどうやら最後になりそうだという、昨日の東京は29.5度で真夏日ですらなく、何となく蒸し暑いけれどこれは夏ではないのだな。

気温はともかく日照時間が少ないと、いろいろカビが生えるし、気持ちもくさくさして、いいことない。洗濯物がおかしなくらい短時間でパリッと乾く、あの夏が少し恋しい。

もはや夏の名残りといえば蚊くらいで、こいつらは今年はなんとデング熱をうつしていくかもしれないから、いつも以上に厄介だ。虫よけスプレーをして長そでシャツを着ていても、シャツの布地の網目から刺されて、一体どうしろと!と吠えた。さいわい今のところ発熱はしていない。油断ならない。熱が出たら解熱剤も選ばないと重篤化するから危険だ。それにしてもいつから日本に居たのか、デング(もちろん今まで天狗だと思っていたよ)。

この頃は図書館で借りてきた本は放りっぱなしで、家にある『富士日記』をパッと開いたところから読むという消極的読書生活を送っている。武田百合子はいつ読んでも裏切りなくおもしろく、食べ合わせが悪くて胃が痛くなりそうな献立を見ては、クククと笑いともつかない息が口の端から漏れる。

山の家の食事、管理所での支払いに買い物。大岡さんとの行き来、誰彼の話。眠たい車の運転。時折山が見せる目の覚めるような景色、草花の様子、季節の移ろい。口に出して言ったこと、思ったけど口に出さなかったこと。何でも書いてある。よく見ているしよく聞いているから、あれだけ細かに書けるのだと思う。他人の言ったことなんてそうそう覚えていられないものだ。